Our right to know ------ for our democratic society to keep peace

We, Metro Cinema club, with Fukui citizen, especially, with the Fukui Movie Circle Community had many chance to show great anti-war movies to keep peace.
And we recognized these important facts.
1: Recent days, civil war or war occurred in case the people or the race thought superior to another with hot and narrow nationalism and at last, begun holocaust.
2: In these wars, we always hear the same murmur.
”That was so peaceful and wealthy society.” ”That was not wealthy but warm society.” ”They were good neighbors with different religion or ideology, even another race.” “I can not believe! And, Why?”
3: After the war or after stopping the war, disastrous and miserable society continues for a long time, with peoples depressed, with difficulty to rebuild.
Is democracy so strong to endure such emergency in Japan? Recently, we know democracy depends upon many different cultures, races, thoughts, senses of value and various histories, so that it contains many problems in itself. To keep Japanese safety and peace, basically our Japanese democracy, we must have strong mind and be patient for such problems internal or international in peacefully. And to do so, our right to know fundamental truths is most important right to analyze, judge, deal and solve.
This movie, “YASUKUNI”, has very important information to keep Japanese peace and democracy.
Present Circumstances about the movie “YASUKUNI”
We knew on TV or newspaper that almost all theaters canceled the schedule to show the movie “YASUKUNI” to fear the violence of “UYOKU” troop, ultra-nationalists. After that, we knew the announcement of the restart of the show in another theaters from May 3. But the fear of violence hasn’t disappeared. Rather, the dark mist of violence is spreading. And mass-communication wrote or announced the premium show for “UYOKU” with their opinion without critics. We must recognize that was just the inspection by ultra-nationalist. The influence of dark mist is spreading not only movie community but also journalists or more. And it brought silence and surface obedience, like just before beginning of Nazism.
We, Metro Movie Theater, accepted many requests of “Yasukuni” by Fax, BBS on HP or by telephone, and also great request of visitors’ votes of request. But Metro, as a commercial theater, cannot endure such disturbances and fear for violence and loss.
Today, fortunately, we gathered together as the Citizen Community to see the movie “YASUKUNI” in Fukui. And we Fukui citizen will be able to see the movie by ourselves. Under democratic rule in emergency of democracy, we, Metro Movie Theater, join the community as Metro Cinema Club. Because, we believe that the showing the movie “YASUKUNI” by this community is just doing and realizing of freedom of speaking and expression also our right to know.
April 28
Metro Movie Theater, Fukui
Metro Cinema Club
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映画「靖国」を理解するためのメモ
市民による「靖国」上映運動を進めながら知りえたこと
メトロ名作上映会 Last ‘080806
靖国神社
1945年8月終戦まで 日本帝国陸海軍は戦争等軍務によって死者がでたとき、国家神道により靖国神社に 神霊(靖国の大神)・英霊 として合祀して死者・遺族へ名誉を図っていた。この靖国神社を頂点とする国家神道は日本帝国の戦争遂行上の精神的支柱であった。 旧日本軍将校がもつ軍刀、日本軍の象徴・・・菊と刀。靖国神社は、剣と鏡をご神体とする。靖国神社境内では昭和8年より終戦まで古式の製法を復活して軍刀・靖国刀がつくられていた。軍刀は占領地での日本軍およびその軍政下の圧制の記憶 処刑に使われた記憶と結びつく(映画「靖国」にはそのような写真も出てくる。)
皇国思想
皇国思想では、日本国民(日本民族)は他の民族より優越していて、日本を中心とした秩序になるべきであるとした
(八紘一宇 はっこういちう:天皇人間宣言で否定された考え方)。
日本は植民地の皇民化政策をとり各地に神社をつくった。
台湾神宮、朝鮮神宮、関東神宮(旅順)、南洋神社、建国神廟( 満州1940年::祭神は兄の国日本の神 天照大神) etc.
日本帝国の戦争
1931年 満州事変。内戦中の中国の東北部を占領。満州国(1932年)を作り植民地化。
1937年 支那事変。中国全土に日本軍は侵攻した。(日中戦争:中国は侵略され、広大な地域が占領された。中国は抗日民族統一戦線を結成し、国民政府は首都を南京から重慶に移して抗戦。事実上の全面戦争化し、日本は最高統帥機関・大本営を設置)
1938年 第1次近衛内閣は この戦争の究極の目的を東亜に於ける新秩序の建設とし、 現代日本国民に課せられたる光栄ある責務なり、また 列国(欧米諸国)も帝国(日本)の意図を正確に認識し、東亜の新情勢に適応すべき(日本の作る秩序を認めるべき)とした。(今次征戦:11月3日近衛内閣発表:しかし英・米・ソは中国を物的・人的に支援した。)
同年 国家総動員法制定(政府は戦時に国防のため勅令で人的・物的資源を統制運用し、出版物を制限する)
1939年(昭和14年) 内務省令によって明治時代に日本各地に設立された招魂社を改称して護国神社とした。
同年 第2次世界大戦がはじまる。
1940年 日独伊三国同盟条約 (同年 南京に汪兆銘かいらい傀儡政権をつくる。 国内ではナチスを模倣し大政翼賛会を発足)
1941年 大東亜共栄圏を建設途上の日本帝国は 自存自衞ノ爲(開戦の詔勅)として
米英に対して大東亜戦争(太平洋戦争:日・米・中国の世界大戦参戦)を始めた。
敗色濃くなった 大戦末期、本土決戦等の戦争遂行の思想強化(一億総玉砕の思想)として靖国・護国神社体制が強化された。(万歳攻撃、特攻、靖国で会おう, 靖国の母・・・など)。
「同期の桜」五番 貴様と俺とは同期の桜 離れ離れに散ろうとも
花の都の靖国神社 春の梢(こずえ)に咲いて会おう(昭和19)
1945年6月 義勇兵役法が成立施行された。男15―60歳、女17―45歳の民兵組織 国民義勇戦闘隊2800万人を本土決戦に動員予定だった。装備は各自が用意の鎌や竹槍など。沖縄戦では爆雷による自爆攻撃も。( ナチドイツの国民突撃隊は男のみ。装備は携帯式対戦車砲・銃)
戦後
戦後 ドイツでは、ニュルンベルク裁判だけでなく、国内法で戦争の責任者を追及し、自由と民主主義を否定する団体を非合法化した。
日本では、GHQは、一部戦争責任者を除く旧体制で占領政策・民主化・非軍事化政策を進め、戦時政策は復興のため援用された(配給等統制経済・政府指導)。国民合意も復興と経済発展だった。
1951年のサンフランシスコ平和条約において 日本国は、極東国際軍事裁判所(A級戦争犯罪)並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷(B・C級戦犯)の裁判を受諾し、且つ、日本国で拘禁されている日本国民にこれらの法廷が課した刑を執行するもの・・とした。(第十一条【戦争犯罪】:
A 平和の破壊又は侵略行為(国連憲章) への戦争指導者の責任「平和に対する罪」、
B 捕虜虐待など「通例の戦争犯罪」、
C 戦争遂行目的でなされる「人道に対する罪」)
1968年 戦争及び人道に対する罪に対する時効不適用条約が国連総会で決議され,1970年に発効。日本は棄権し 批准もしていない。
戦後、日本軍の名簿を引き継いだ厚生省による戦没者等の遺族年金などの給付が進む一方、一宗教法人になった靖国神社への戦没者の合祀はすすんだ。
B・C級戦犯の合祀もなされた。
1975年(昭和50)天皇による最後の靖国神社参拝。
1978年(昭和53)A級戦犯(この年より靖国神社は「昭和殉難者」の呼称を用いる)の合祀がなされた。
≪先の戦争を遂行するために使われた 靖国思想 皇国思想が、戦後 誰にどのように受け継がれたか≫
これを映画「靖国」で考えてみよう
極右思想、皇国思想, そして 靖国をどう考えるか
市民として 常識で考えることです。
靖国神社を考えるとき 靖国で会おうと言って約束した現存の人たちや 遺族のうち靖国を父・兄等に会える場所とする方々への深い配慮が必要です。信仰としての平穏と平和を願う気持ちを傷つけてはならないのです。戦後60余年、戦争の精神的後遺症をケアしてきたでしょうか。この方々も、靖国神社との一体感をアピールし皇国思想を広げようとしている人達には違和感をもっているはずです。
国民に 一億総玉砕 を迫ったこと ・・・帝国臣民の人権とは 先の大戦は皇国思想をはじめとする奔流がとてつもなく強く、その軍国日本の狂気と軍部・政治・経済・社会・文化全体が呼応し、なぜ国全体が有無を言わさぬ最悪の悲劇-残酷・悲惨な戦争をしたのか。
ただ1つ1つ見ると国内外の情報を共有せず、戦争を遂行する者にアクセルを奨励しブレーキを禁じる破局へのシステムだったことに驚く。
ひとつの要因としては戦時国際法として非戦闘員・投降者等保護など 戦争の国際ルールである
ハーグ陸戦条約(1907年批准:今日に至る) と
ジュネーヴ条約(1929年;日本は署名を行ったが批准しなかった。
日米開戦後米国は遵守する意思を 中立国を通じて表明)
がありながら、兵士・一般国民には知らされなかったことが挙げられるだろう。
B(捕虜虐待等) C(人道に対する罪)級戦争犯罪、
玉砕、
島民の集団自決など を招いたのではないだろうか。
しかし、軍人(将も兵も皆)はハーグ陸戦条約があっても国内法・軍律に基づいて規制されていたのだ。
軍人勅諭(ぐんじん ちょくゆ) 1882年 明治天皇が陸海軍に下賜)
忠節を守り義は山岳よりも重く死は鴻毛(こうもう)よりも軽し・・・陸軍では暗唱させられた
戦陣訓(せんじんくん) 生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかしめ)を受けず・・・
(1941年1月に当時の陸軍大臣・東條英機が示達した訓令)
陸軍刑法 (公布:1908年 改正:1942年 ・・・上官に対する絶対服従だけを定めた法律ではなかった
軍の司令官は可能な限りのことをしないで、降伏したり陣地を明け渡したら 死刑(陸軍刑法40条,海軍刑法35条)、可能な限りのことをしてから降伏した場合でも 6か月以下の禁固(陸軍刑法41条)
――いずれにしろ司司令官にとって降伏は 死刑か、生き恥をさらす有罪。最後まで死守するか、自決か 最後の万歳攻撃 の究極の選択。結果、数多くの玉砕の悲劇が起こった。
(国民義勇戦闘隊にも 陸軍刑法・海軍刑法は刑を減軽できるが適用された。文字通り一億総玉砕体制)
1945年天皇の終戦詔勅があるまで 誰も降伏できなかった。
残された道 英霊となって靖国で会うこと。
今生きている私たちは
戦争体験者(戦地でどうにか生き延びふるさとに帰りついて、または内地にいて空襲を必死で逃げ延びて、戦後の大混乱を生きぬいてきたもの)と、戦争を体験した父母・祖父母から 言葉で言い尽くせない苦しい体験と生きる大切さを教えられてきた子・孫です。
なぜそのような悲惨な戦争体験をしなければいけなかったのか その基本的な疑問と戦争の記憶を原点とする私たちには、美しく戦争を語る者との違和感は近年ますます大きくなっています。
この映画「靖国」は、私たちの生きてきた歴史を直視し、軍国日本と決別し、語り継ぐべき歴史とする勇気を与えてくれる映画です。
アジア諸国に対して
1000年をはるかに超える長い交流の歴史で、相互に文化・歴史の深さ、民族・宗教の特徴を知っているのに どうして日本は優越を考えたのだろうか。
アジア諸国は日本に侵略され占領された不幸な歴史を持つ。
誰が、何故 先の大戦をし掛け、全日本国民を駆り立てたのか説明し、今後そのようなことのないことを分かってもらうのは日本の責任です。
当然のことですが、多様な社会・文化・歴史を認め合うこと本来の価値を共有することになり豊かになります。
反対に自国の多様な文化を否定し、継承しなければ自国の豊かさを失います。
否定し合ったのは冷戦時代のこと。
現代は相互理解と調和とバランス、そして適切な対応と忍耐が必要な 友好を超えた現実の関係なのです。
民主主義では
平和憲法を持ちながら、もしかすると私たちが選んだことが戦争へ繋がる道であるかもしれません。
問題が起きたとき、様々な人が市民として参加し 情報を共有し 個性を出し合い対応するのが 市民運動。
つまり私たちは別の様々な解決策に変更・選択できるのです
…これが市民社会の民主主義です。
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